文部省、敵視から認知へ

『もう一つの学舎 学校の外側で』 - 1997年8月27日付東京新聞夕刊より引用

「学習塾は無視できない存在」

<<学習塾は、地域における子供たちの多様な学習活動を支える面でも、無視できない存在になった>>

文部省は六月、学習塾の役割などについて、これまでの否定的な見方を転換し、文相の諮問機関、生涯学習審議会に諮問した。

諮問の翌日だった。千葉市内の学習塾、京葉学舎の皆倉宣之さんに、友人から電話がかかってきた。

「文部省がついに塾を認知したんだね。よかったじゃないか」

皆倉さんは、素直には喜べなかった。

「うれしいというより、むしろ迷惑だなって感じました。審議会や文部省が勝手に理想的な塾像をつくり出し、『こうした役割をしろ』と言い出したりしないか……」

「塾教育研究会」の代表も務める皆倉さんは、塾教育の実践を通じて公教育への意見を絶えず表明してきた。「進学塾と補習塾だけが塾ではない」というのが持論だ。「塾は、行政の規制を受けずにきた結果、活性化、多様化してきた。そのよさが、失われてしまうのではないか」。文部省の方向転換は、そんな思いをよぎらせる。

「乱塾」「受験戦争過熱の元凶」。塾はさまざまな批判を浴びながら「一兆円産業」に成長してきた。一方、文部省は「学校教育と塾は無関係」との姿勢を貫いてきた。昭和六十二年には、学校に奮起を促すため、「補習などで学習、進路指導を充実させよ」と異例の事務次官通知を出したほどだ。

塾を異端視する文部省の姿勢を横目に、通産省は、サービス産業育成の観点から塾団体に近づいてきた。文部次官通知の翌年、通産省所管の社団法人「全国学習塾協会」が設立された。

通産省に先を越された形になった文部省も、学習塾の"認知"に動きかけたことがある。平成二年、学習塾などでつくる任意団体「民間教育振興協会」が同省に社団法人としての認可を申請した時だった。当時を知る文部省幹部は言う。

「省内でいろいろな意見があった。監督下に置いて夜中まで子供が塾通いする実態を是正すべきだ、との意見もあった。初等中等教育局などには『学校教育を否定することになる』との考えが強く、まとまらなかった」。結局、見送られた。日教組の強い反発も背景にあったが、義務教育の元締めである初等中等教育局が、できたばかりの生涯学習局を押し切った形だった。

文部省と塾とは、水と油の関係を続ける。両者が対話のテーブルについたのは平成四年五月、月一回の土曜休日導入に当たり、文部省が塾団体に「過度の営業」の自粛を要請した時だった。

敵視、黙認、放任、そして認知へ。皆倉さんの目には、文部省が学習塾を見る視線が、穏やかに変わっているように映る。

塾を「無視できない存在」と認めた生涯学習審議会への諮問について、文部省幹部は説明する。「もはや塾の存在を避けて通ることはできない。体験学習を重視する塾が出始めるなど、塾も大きく変わっている。タブー視せず、正面から議論する時期にきている」

この方向転換の背景には、公教育のスリム化など教育改革の大きな流れがある。学校週五日制の実施により、学校が背負い続けてきた重荷の受け皿は、塾を含む民間教育機関を抜きにしては考えられないからだ。

塾を無視していた時代の文部省初等中等教育局の元幹部が、ふっと漏らした。

「塾と共存共栄を図らざるを得ない時代の流れなんでしょうな」

文部省の敗北宣言に聞こえた。

公教育スリム化『共存共栄図らざるを得ない時代』

※見出しおよび本文中の「文部省」「通産省」は、省庁再編により現在の名称とは異なります。